先輩ダンサーのこと師匠のことわたしのこと

随分と前の話になってしまいますが、去る3/9に溝の口フィオーレの森で行われた「東地中海の音楽と踊り」へ行ってきました。

ヤスミンさんの踊りと話がたまらなく心に刺さり素敵すぎて、

高揚した気持ちが、書こうとするとまたぶり返し、それはまたなかなか収まらず、久しぶりに感情と思考のコントロールができなくて、時間かかってしまいました。

ヤスミンさんは、
わたしの大先輩でNYで同じ師匠・Anahid Sofianからダンスを学んでいました。

ヤスミンさんの踊りから、熱い想いがバシバシ伝わって、大いに泣きました。

アルメニアの曲での踊りがほんと綺麗で綺麗で、人って感動すると、全てを忘れるんだなってほんとで、言葉がなくなるのもほんと。

ほんとに綺麗だった。

Anahidはわたしがずっとずっと憧れて、追い求めているダンサーさんです。彼女に出会わなかったら、とっくの昔にベリーダンスなんて辞めていたと思う。

彼女に出会って、レッスンで彼女の何気ない手が翻る様をみて、このダンスにおちた。

でも後に、日本に帰ってから、おちたのは、いわゆる「ベリーダンス」ではなく、「“彼女”の踊るダンス」になんだと。

つくづく、
人との出会いが人生の全てだと思うし、

踊りは人の形でしかないこと

そう思うようになり、踊れるまで、随分と遠回りしたように思います。そして、まだまだ学び多し!な毎日。(´-`).。oO(終わりがないなぁ

Anahidのことは、ヤスミンさんが伝記を書いているのでそちらを是非読んで頂ければと思います。

アナヒッドソフィアンの半生記:
http://raksyasmin.com/archives/2506

(❥ヤスミンさんが、田園都市線・宮崎台駅でレッスンやってらっしゃいます。神奈川方面の方はぜひヤスミンさんのクラスもチェックされてください♪)

(もう3年前になるのかな?生徒さんと一緒にNYへ行った時の写真)

わたしも憧れのダンサーAnahidの踊りのルーツを求め、彼女の故郷・アルメニアのことを調べていくうちに、そこではじめてアルメニアジェノサイドのコトを知りました。

わたしの故郷・沖縄もジェノサイドとまではいかないけど、戦火に焼かれ、今なお戦争の遺恨が残る国です。

祖国のことを憂いる時間は今も多く、幼少からたくさんの時間を平和学習へ費やして来たと思います。

↑ノアの箱舟がたどり着いたと言われるアララト山↓

4年前のちょうどこれくらいの時期、どうしても自分の身体でアルメニアの空気を感じたくて、
4/24のジェノサイド追悼記念日に合わせてアルメニアを訪れました。

世界中に散らばったアルメニア人(彼らは自らをハイクと呼びます。)が、献花を捧げに祖国へ帰る日、祖国を想って過ごす日。

ツィツェルナカベルトの丘にある献花台は、まだ午前中にも関わらず、予想以上のたくさんのお花でいっぱいになっていて、

このお花の数だけの悲話があるのかと思うと心が痛んだけど、

不思議と花の香りと鮮やかに彩られるこの時間が美しく感じられて頭はぼーっとした。

残虐な戦争がお花で彩られる様に、人間の生きるたくましさも覚えました。

もちろんアルメニアのダンスも学んできました。
コーディネーターさんの計らいで、幸運にも大学教授から学ぶことができました。

blog→https://wovenbellydance.com/blog/2016/04/2781

(現地のニュースの取材を受けた。けど上手の英語が話せず想いを伝えれなかった…)

Anahidの生い立ちから、
アルメニアの歴史とダンスを学ぶ中、いつしか自然と、踊りと平和がわたしの中で、イコールになりました。

その時やっと、がむしゃらに踊ってただけの踊りが、社会と繋がれた、変な言い方ですが、「社会人」になれた気がしました。奢った言い方をすれば、社会に貢献できる“ナニカ”を見つけれたと思ったのです。

どうやったら多くの人に彼女のことを知ってもらえるのかな?っとか、

じゃあ具体的に平和のために?踊りで?何ができるのかっとか、

もう随分長い間考えあぐね、挫折ばっかしてますが、人生かけてコツコツと根気よく!やっていく所存。気長に見守ってもらえればと思います。

そんなこんなで、
レッスンはほぼほぼ毎日やってます!

踊ってれば、道は拓ける!と信じて。

体験レッスン随時受け付けてます^^一緒におどろ♪ tazuko