タラブのついての考察

「タラブ」
この言葉を知ったのは、
VirginiaのWSを受けた時だったから、
もう5年くらい前になるのかな?

 

ちょうど、生まれて初めて、
生演奏で大好きな曲を踊った時に、
意識ぶっとんで、
わけがわからないまま終わって、
しばらく放心状態の日々があったステージの後だったので、

 

…以来、
自分の踊りをどちらかと言うと「うんこ」に近いと思ってる。

見てきたものや聞いたもの
今までの日々の全てを吐き出す行為。
(→スタジオ理念の「日常」って
キーワードもそこからきてたりするんだけど。)

芸術ともアートともエンターテイメントとも
ましては自己表現なんて分際を知れ!
っと自分自身に思う昨今。

 

 

そんなことはさておき、話もどすと、

 

「タラブ」ってあの時のことなのかな〜?
って直感的に思い、
その後ネット駆使して調べてみると、

 

どうも
「アラブ音楽・詩を体現する際に感じる恍惚状態」
をいうらしい。

うむ…
「アラブの詩」とな?

 

ベリーダンサーは周知の通り、
アラブの詩には「愛」にまつわる詩がいっぱい。

 

元々、
アラブの詩に一切合切共感できないわたし。

好きな人想って一晩中
待つとか….むーり〜

会いたくなったら待たずに

ピンポーン
来ちゃった❤︎

でしょ〜

 

 

なもんで、
調べれば調べる程に、
(ほんとネットって便利よね。)

詩を読めば読むほどに、

 

…こりゃ、詩を言葉通り 素直 に体現すると、
「愛欲ダンス」にしかなんない臭いぞ?

 

ただよがって、
自己陶酔してるだけっていう危険性を孕んでないか?

 

ただそれを表現・体現するのが
「タラブ」ってあまりにも安直すぎぢゃないか?

 

…なんか違う気がする。
あ”ぁー!わーかーらーーーん!!!

 

「タラブ」ねぇ…

っと、タラブについての考察は
そのままそこからずっと放置。

 

 

 

そして時は流れ、半年くらい前にたまたま
「信仰と科学(だったかな?!)」というその名の通り、
信仰を科学的に解明するっていう番組を
National Geographicだかなんだかでみたの。

詳しい説明は長くなるので省くけど、
それを観てね、初めて知ったけど、

 

普段から「祈る」ことを日常とする人々にとっての「愛」の対象は神であり

…個人差はあるだろうけど、もちろん。

信仰って、わたしには全くない感覚・思想なので
とにかく色々びっくらこいた。

 

肉体のある他者への「愛」は、実は信仰そのものだったりして、

その他者を通じて、神の「愛」を感じているわけで。

俗世の愛は、神へ通ずる通過儀礼のようなもので、

愛すること・捧げることが信仰そのもので、

愛されること・恩恵を受けることで、神を感じる。

 

 

でもその先は?
その先に人が求めるのは、

 

神との一体感。

 

 

そこに
一切の自我はない。

自我がなくなる境地。

(番組ではここの境地を科学であらゆる角度から検証してた。)

 

たぶん、そこを「タラブ」っていうんだとわたしは思った。

 

 

きっとわたしが生まれて初めての生演奏のステージでぶっ飛んだ感覚。

 

「タラブ」っつー聞き慣れない言葉だからややこしいだけで、
実際は、誰もが絶対どっかで経験してると思うんだよね、意外と。
ある種のエンスージアズムだったり、自我がなくなる空白(無ともいえるか?)って。

 

 

よくSEXでいうところの「イク」に例えられるけど、
…まぁそうかもね。確かに自我ないし。

SEXが信仰や宗教と深く関わってるのも頷けるし、

 

「タラブ=アラブ音楽・詩を体現する際に感じる恍惚状態」
っという説明はとても正しいと思う。けど、不十分とも感じる。

 

信仰のない日本人(といったら語弊を生むかな?)には
タラブの本質を解釈するには、その背景を知る知識や教養も必要だから、
アラブの詩を感覚オンリーで依存していくと
少し難しいのかもしれない。

 

いや、結局は感覚で捉えていくしかないんだけども。

 

 

っと、
「タラブ」を踊りたいと生徒さんに言われたので、

いいタイミングなので、
つらつら「タラブ」についてあれこれ考えてたことを
文字起こしてみました。

 

 

っとさ!

 

結論!
「タラブって踊ろうと思って踊れるもんぢゃないと思うよ。」
です。

だからわたしレッスンで教えてきれないわ〜┐(´ー`)┌

 

 

答えは、

dance much more than you dance.

かな?