ショーも産後1か月で復帰、
レッスンも産後2か月で再開。
SNS見てたら順風満帆な子育てダンスライフを送っているように見えるようですが、
隣の芝は青くみえるだけ。
人並みには色々ありました。
それなりの葛藤もありました。
それらを乗り越えられてる
わたしの心の土台を
今日はつらつら書きます。
子育てをしていて、
いつも想うのは
16年連れ添い、
去年の夏に旅立った
愛犬PJのこと。
犬と一緒にするな!
って声が聞こえてきそうですが、
大切な存在、
家族であることには
変わりはありません。
そうこれは家族の話。
今でこそ1人で寝ることが出来る息子だけど、
生後3ヶ月くらいまでは、
離れることを嫌がって、
四六時中ずーーーーーっとべったり。
1人でベッドで、なんて絶対になかった。
PJも出会った頃はそうだった。
夜鳴きがすごくて、
こっちも泣きそうだったし、
イライラしたし、
怒ったし、
どうしていいかわからず、
かなり疲弊した日々を思い出した。
当時のわたしは
まだまだ精神的にとても幼くて、
PJが不安で鳴いてることに気づいてあげれなかったけど、
あぁきっと、あの時のPJと一緒で、わたしから離れたがらない息子も、
とても不安なんだろなって直感的に思って、
不安がなくなるまで、もうとことん付き合ってやる!と覚悟決めて、求められるままに抱っこし続けた。
日中は抱っこ紐を駆使しながら、
(ボバラップおすすめ!)
夜も、万が一があってはいけないから、落とさない様にと、クッションや枕を上手いことつかって周りを固め、抱っこしたまま寝る。(正確には寝落ちw)
面白いもので、
落としちゃいけない!
という気持ちが
無意識化でも身体に作用してたらしく、
完全に固まった状態で寝れるようになり、
なかなかにいい息子のベッドになれてたみたい。
旦那には、「よくあの体制で微動だに動かず寝れるよね」って言われてましたw
そのおかげか、
夜泣きで悩まされることは、全くと言っていいほどなかった。
ただとても無理な姿勢で日々を過ごしていたので、もう身体はバキバキに固まり…
踊りを生業としてるからかな?
ただでさえ身体に衰えを感じてるのに、更に追い討ちかけるようにどんどん思うように動かなくなっていくこと、
それがわたしにとって、ものすごいストレスで、
ほっておくと、身体だけでなく、メンタルもバキバキにやられそうだったので、
旦那に、時には友達にお願いして、ベリーダンスのWS受講したり、ピラティスやヨガなどに通ったり、スタジオに篭ったり、
身体をほぐす時間を積極的に作ってました。
それでも、ルルベひとつまともに出来なくなってる現実が辛く、
わたしの16年、
身体に刻んでたはずのこの16年が無になった気がした。
まるでPJが旅立ったように、
わたしの身体もどこかにいったみたいな気持ちにもなった。
わたしがベリーダンスを始めた年にPJは生まれた。
ベリーダンスの隣にはいつもPJがいた。
まだまだ自分最優先だった20代のわたしは、PJとよく喧嘩した。
PJが怒ってる理由がわからなかった。
PJとの時間を優先して、逃したステージのチャンスもあった。
当時のわたしは、
踊ることに必死すぎて、PJのこと思いやれないことがいっぱいいっぱいあった。
怒ってたのは、
もっといっぱい遊んで欲しかったから。
チャンスだと当時思ってたことだって、それはただの誘惑だ。
そんなことにも気づけないくらいわたしは自分のことでいっぱいいっぱいだった。
もう先が長くないと分かってからの1年と少し。その時間は本当に尊く、PJを最優先で生きた。
そう決めてから、
見えてきたことが、
やっと気づけたことが、いっぱいあった。
わたしも年も重ねて、幾分か精神的な余裕もあったし、
お互いのいい具合を知りつくしてたから、
20代の時のような喧嘩はもうなく、
とても穏やかな時間を過ごせた。
でもどこかにいつも寂しさもあった。
旦那と一緒になろうと自然に思えたのも、PJをとても大切にしてくれてたからだ。
ちゃんと家族として受け入れてくれた。そしてPJも。
今思えばPJは、死に場所をもうこの時には決めてたんだろう。
旦那の実家に挨拶に行き、賑やかな時間を旦那の家族と親戚と盛大に過ごした次の日の朝、PJは笑顔でわたしの腕の中から旅立っていった。安心したのだろう。
東京には連れて帰らずに、そのまま旦那の実家の裏庭に埋葬した。
2匹の先代のわんちゃんたちが眠るガーデニング好きな義母の庭園だから、ここならきっとPJも寂しくないと思った。
それまで旦那とは、ほとんど喧嘩することはなかったんだけど、息子が生まれてからは、人並みに子育てを巡っていっぱい喧嘩した。
何度も「離婚」がよぎったけど、
あれ?離婚してしまうと、PJのお墓参りにいけなくなる…!!!
そのことに気づいた時、
さすがPJ、図りよったな!
っと笑ってしまった。
PJのお墓参りに行けなくなることに比べたら、旦那とのいざこざなんて全て取るに足りない茶番だ。
今このブログを書いているのは、深夜2時回ったくらいかな。
深夜に少しだけあるわたしの貴重な自由時間。
さっきまで大雨だったのに、今は雲の切れ間から朧げに月が見える。
隣の寝室ですやすや寝てる息子と豪快なイビキをかいて寝てる旦那との穏やかな時間は紛れもなくPJの功績です。
穏やかだけど、ちょっと前のような寂しさはない。心のどこかが温かい、初めて感じる穏やかさ。
PJと過ごした時間が、この温かさを生んでいる。
わたしとPJは、
ちゃんと家族だったんだなぁ!
そんなわたしは、身体に「はじめまして」と挨拶してしまうほど、新になったところからの再スタートで、今またレッスンを積んでます。
わたしのベリーダンスジャーニー第二章は、息子と旦那と一緒。
今章は、自分のことだけでいっぱいいっぱいにならないように、PJに教えてもらったことを胸に、家族とベリーダンスのいい塩梅を見つけて踊り続けていことう思ってます。
今日の七夕の星に願いを込め。
tazuko