慰霊の日

今日は「慰霊の日」です。
沖縄の人ならどこにいようが、祈る日でしょう。

 

今とっかかてるステージがあります。
「生」というものを感じるステージ。
(いちおーお披露目は来年予定。なげー制作期間!)

 

いささか壮大なんだけど、「生きること・生かされていること」 を描きたくて、
その上で「死」や「殺」というキーワードなしには不可能かなぁ。。。
と、今迄ずっと目を背けてきた、
私にとって1番身近な「死」「殺」、
つまり「戦争」というものに、この半年ほど向き合っています。
(いつかは取り組みたいテーマのひとつだったし。)

 

去る5月にannonesと共にひめゆり平和祈念公園などを回り、
気持ちのいいものではないなと、
美しいものではないなと、
吐き気がするほどの嫌悪感を抱く反面、
生きとし生けるものの性なような気も正直しました。

 

話はちょっとずれるけど、
私は高校の恩師から「自然に帰れ」と教わりました。
(ルソーのあれとはちょっと違うんだけど。)

 

自然が全部教えてくれると。

 

だから、よく子供用のなんですが、
昆虫図鑑や動物図鑑なんかをよく読みます。

読んでいつも思うけど、
私たちは、
他の命をいただいて生きている、生かされているんだよね。

 

サムライアリというアリがいるのを知ってるかな?
このサムライアリは、真社会といって成熟した社会をもつ生き物と言われていて、
そのサムライアリは、他の種のアリを巣ごと奪い、奴隷にして生きます。
奴隷アリがいないと、サムライアリはなにもできないんです。
奴隷アリが足りなくなるとまた次の奴隷アリを探し、
全てを奪いに行く。

 

生きるって、そこに、善も悪もないような気がします。
野菜食べて、豚食べて、悪いことしてるって思う人間はそういないのと同じで。

 

かといって、
人間が起こす「戦争」が種の保存・進化の過程だから、
仕方ないとは絶対に思えない。

 

戦争には、迷わず「NO」と言える。
これは単純に私の中に流れる受け継がれた「血」が叫ぶのでしょう。

 

生きとし生けるものの性っつても、
人間が狩猟採集していた時代には、戦争の跡がないんだと。

 

人が定住を始め、なんやらかんやら所有するようになってから、
戦争というものが始まったというから、
生きとし生けるものの性というより、人間の性なのかもしれないな。

 

そんな思考の狭間にグラグラ心が揺れてマングース。

 

anyway pray for peace! do for peace!