慰霊の日

昨日6月23日は慰霊の日でした。

 

沖縄では、この日戦火に焼けた故郷と祖先を偲び手を合わせます。

 

私も毎年どこの地にいようが、そうしてきました。

ですが、今年はどうにもこうにも複雑な気持ちでした。

ここ東京では、結構、戦争に「YES」という人が少なくない。それは、意外にも戦争経験者や、戦後すぐの世代に多く、負けたからNOであって、勝てばYESという考え。勝てる戦争ならしたほうがいい。それは、どうして?と聞けば、弱肉強食が摂理だから、っと。弱い者は生きてちゃいかん、とも。

 

沖縄は弱かった。
だから戦場となり多くの犠牲者がでた。
弱かった。
強かったらそんなことにならなかった?

 

沖縄では、戦争の悲惨を語り続け、幼い頃からそれを聞かされ誰もが育ちます。平和教育がどの日本の地域よりも徹底されてると思う。だからかな、戦争を全く知らない私達世代でも、自信を持って戦争に「NO」といい切ります。

そんな沖縄育ちの私にとって、このYESという考え方との出会いは、突拍子もなくて、出会ってからずっと未だに理解に苦しんでいて、そして昨日は慰霊の日ということもあり、FBで次々にUPされる沖縄の慰霊の日のことを読みながら、一日地味にずっと考えてたら、うーとーとーするの忘れた。多分初めて。

 

疑ったことすらない絶対的だった思想「NO」の真逆「YES」が存在するという現実。

 

ゔぃっくりしたのなんのって!

 

まぁNOの反対はYESで、YESの反対はNOだもんね。そりゃ両方あって当然だな。なんならどっちでもない意見もあるわけで….

 

環境と教育次第で如何様にも常識や倫理観や正義が構築される恐ろしさには参ったな。

 

私が普段当たり前だと思ってることが、ちょっとみる角度が変わったり、それこそ時空が変わってみれば、非道な考えでもって、今まさに恐ろしく残虐なことしてる可能性だって大いにあるんだもんな。

 

案外、絶対なんつー一方的な価値観が戦争生んでんのかもね。

 

ど正面から物事を見る勇気と、エスプリな視点は常に両方持ってたいねっと思う。

 

あ”ぁなんか頭使い過ぎてだるいな。

働こ。生きるってタフ。