詩人の恋 アラブの歌姫ウンムクルスーム

日本語の「恋愛」という言葉は実によく出来ていて、恋と愛を分けているのに一緒の言葉として成立しているのがとても素敵だと思う。

アラビア語が、恋と愛を分けているのかは分からないけど、1番身近な外国語の英語は恋も愛も「LOVE」だったように思う。

ある一定の年齢に達してから、どうも「恋」というのが素敵に感じられなくなった。

多分、当時ダブル不倫していた知人らの言動に吐き気がする程の嫌悪感と禍々しさを感じたからかもしれない。

それは、わたしの知ってる

ドラッグの幻覚に堕ちていく顔、

女の肉体を貪る汚らわし吐息のおやじの恍惚した顔に似ていた。

当事者たちはさぞかし甘美な夢をみていたのかもしれないけど、

側からみている醒めたわたしからは、お互いに自分の妄想を相手に当て振り、エゴと性欲に溺れた女と男の自己陶酔ぷりにわたしはますます醒めていったのを覚えている。

この本を読んで、当時感じていたそんなことが蘇えり、やっぱ「恋」なんてろくでもねーなと思った。なんでみんな「恋」したがんだろ?

相手を周囲を幸せにするのが「愛」なら、「恋」は破滅させるのだろう、自分も相手も、そして周りの人々をも。

余談ですが、わたしの「恋愛」への価値観は所さんのこの曲が全てです。世界一のラブソングだとわたしは思う。ぜひ聞いてみてください。

話を本に戻します。

まぁそんなこんなで、わたしはこの物語の主人公ラフマドラーミーに終始ウンザリしながら読んでいた。

悲しみが快楽になってる悲劇の主人公ぷりに、ほとほと呆れて、ダメ押しが、孫に自分の業を押し付けるのだから、もうどうしようもなくタチが悪いなとすら思った。

結局アフマドラーミーは最後まで「愛」を知らなかったんじゃないのかな?

「愛」という言葉を乱用してたけど、

…これは本当に「愛」だったのかねぇ???という疑問。

少しだけアフマドラーミーのことを調べると、彼は「Poet of the youth」と呼ばれているそう。

なるほど。今の日本でいう中二病なのかな、ずっと恋に恋してた人だったのかもね。

ただ最後まで読めたのは、言葉の言い回しがとても素敵なページが多く、その言葉の美しさに、「恋」の甘美な桃源郷をわたしも感じたからかもしれません。

「日に日に禁欲によって熟していく処女的で暴力的な官能を、彼女は自分だけの聴衆へと放ちつづけた。彼女だけが、男性とのつながりから自由だった。(中略)もし、彼女を何かに当てはめなくてはならないなら、両性具有は相当するだろう。男性との女性が同時に存在し、性差はない。なぜなら二つの性が存在するからだ。そしてそのうえ、彼女は母親である。彼女の名前はウンムであり、それはすべての母で、子どものいない母親なのだ。そして預言者から遣わされ、彼の娘の一人の名前を貰った聖女でもある。どの男のものでもないが、もちろん女性ではある。感情を持つ肉体だが、触れることはできない。」

詩人の恋 アラブの歌姫ウンムクルスーム

この霊性を持って生きる人の描写が凄まじく秀逸で、まじで!鳥肌がたった。文章表現においてはさすが詩人!ラフマドラーミーすげーな!と腹の底から思った。

いや、この本はフィクションなので、この本の著者セリムナスィーブさんがすごいのか、訳した岡本尚子さんと梶葉さんがすごいのか。とにかく、この文章を読んで猛烈に痺れた。

他にも紹介したい文章がいっぱいあるのですが、手に取って読んで欲しい本なので、割愛。

お時間が許すならぜひ読んでくださいね。

結局知りたかったウンムクルスームのことはよく分からなかった。ラフマドラーミーの妄想の言葉からは彼女の生々しさは全く感じることができなかった。少なくとも私はこの本のウンムクルスームはシルクベールに霞んだ幻みたいに、本当にいたのかどうかすらわからない人だった。

もしかしたら、この感覚は正しいのかもしれない。偉大すぎて、その崇高さは神に近いのかもしれない。

ウンムクルスーム、

こりゃ踊るの大変なわけだ。

以前書いたウンムクルスームのブログもどうぞ。この本を読んだあとだと、表現力が乏しいな汗