
カラダがひらければ、感覚が変わり、
感覚が変われば、表現が変わる。
表現が変われば、あなたの世界は変わる。
カラダをひらくことは、
ただ思考や感情がやわらかくなることでも、
上手にカラダを動かせるようになることでもありません。
呼吸が通い、カラダの奥からの疼きを感じたとき─
あなたは、忘れていた生命の力を思い出す。
癒しや解放、快楽で終わらせない。
そのエネルギーを、創造へ、祈りへ、
そして世界へと解き放つ。
カラダが変われば、感覚が変わる。
感覚が変われば、表現が変わる。
表現が変われば、あなたの世界が変わる。
その道は、古くから「クンダリーニ」と呼ばれてきました。
大地に眠る蛇が、天へと昇っていくように─
あなたの内なる力もまた、静かに目を覚まし、
まずはあなた自身のカラダを、そして世界を巡りはじめるのです。
それは、特別な人だけのものではありません。
すべてのカラダに眠っている力。
ひらいてみない?
あなたのその眠るカラダの奥の奥から。
about tazuko – ここまでの軌跡



わたしの踊りは、これまでにさまざまな場へと導かれてきました。
松任谷由実さんのプライベートパーティーや、日本映画監督協会の忘年会、
そしてFC琉球のハーフタイムショーでは、スタジアムの観客とエネルギーを分かち合いました。
また、琉球朝日放送のテレビ番組では毎週ベリーダンスのレッスンコーナーを担当し、
日常の中でカラダをひらく楽しさを多くの視聴者に届ける機会もいただきました。
そして現在は、糸満市の事業として、ベリーダンスのステージや占星術の講座を担当しています。
社会や地域としっかりつながりながら、
踊りを通して先人達から受け継いだ叡智の学びを届けてきた歩み。
それが、いまの活動の確かな土台になっています。

子宮瞑想が生まれた背景
わたしは20年にわたり、ベリーダンスという”子宮の踊り”を踊ることで
生命賛歌・自己表現・そしてエンターテイメントを学んできました。
けれど同時に、踊ることの“むずかしさ”にも向き合ってきました。
踊りは本来、すべての人に開かれている。
でも、いざ踊ろうとすると、どこかで躊躇してしまう。
自分の身体と、心と、向き合う勇気が必要だから。
だからこそ、ベリーダンスの「踊り」という要素をいったん外して、
レッスンで行っているボディワークやエネルギーワークの基礎部分を
「子宮瞑想」という形で届けたいと思ったのです。
表層的な変化としては
生理痛やPMSの改善、お産のときの陣痛の軽減など、
実際にカラダが楽になっていく人が多くいます。
けれど、ほんとうに大切なのはその奥。
自分の子宮とつながることで、女性性がゆるやかに、そして確かに開いていく。
内側から瑞々しさが戻り、
五感が美しく、敏感に研ぎ澄まされていく。
その先にあるのは、霊性のひらき。
“カラダ”を通して、
わたしたちは再び「いのち」と出会うのだと思います。
ほんとうはね、
多くの女性にベリーダンスを踊ってほしい。
でもまずは、“感じるカラダ”に還ることから。
それが、子宮瞑想のはじまりです。
まずは3ヶ月、あなたのペースで。
そして3年後には、きっと霊性がひらいている。
カラダはすぐには変わらないけれど、ゆっくり、確実に応えてくれます。
ここは、いつでもひらかれている場所。
あなたの内なる宇宙が目を覚ますその瞬間を。
子宮瞑想の無料体験希望は→こちらのLINE登録を。子宮瞑想会のリンクが届きます。

カラダをひらくワークショップ
子宮という神殿から、御嶽という祈りへ
20年にわたり「子宮の踊り」としてベリーダンスを伝えてきたtazukoとナミヌタラが贈る、
内なる神殿(子宮)と外なる神殿(御嶽)を結ぶ祈りの体験。
呼吸・動き・大地・祈り─
あなたのカラダが“いのちの記憶”を思い出す時間。
1|子宮とつながる瞑想
呼吸とともに、子宮の入り口から大地のエネルギーを吸い上げ、
頭頂から天へと還す。
カラダの中心軸に流れるエネルギーを感じる導入。
あなたの子宮が、天と地を繋ぐ通路であることを思い出していきます。
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2|カラダをひらくワーク
重力に委ねながら、
子宮に宿る“疼き”をムーブメントとして解放していく。
ベリーダンスの叡智をもとに、
カラダそのものを祈りの言語として目覚めさせる時間。
「感じること」が「祈ること」へと変わっていく瞬間を体験します。
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3|御嶽への祈りの旅
糸満の御嶽へ。
“誰かが神と出会った記憶”が残るこの場所で、
海と風と大地と呼吸を合わせ、
祈りとはなにか、なぜ祈りが必要なのかを体感的に学びます。
あなたの存在が、大地の祈りと共鳴していく。
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4|対話と統合
カラダをひらき御嶽で感じたことを、
静かな場所で言葉にしていく時間。
湧き上がった感情、身体の感覚、風や海の匂い──
それらを一つひとつ、現実の言葉として紡ぎ直していく。
誰かの感じた世界を聴くことは、
自分の世界をもう一度見ることでもある。
この時間を通して、
祈りが“遠くにあるもの”から、
“今ここにある呼吸”へと変わっていきます。
祈りは特別な行為ではなく、
日々の呼吸や、誰かと共に息づく対話そのもの。
世界と共に生きるということを、
もう一度、身体を通して思い出すリチュアル
参加希望はこちらから↓
参加者の声

「お腹と子宮に、静かだけど確かな炎を感じました。」
「呼吸のたびに、子宮が“わたしも動きたい”と言っているのがわかりました。」
「下からエネルギーを動かすと、お腹の奥に“嬉しい”という感情が溢れてきて、涙が出ました。」
「喉に詰まっていた言葉がほどけていくのを感じました。“怖い”の奥には、“伝えたい”という願いがありました。」
「母がヒヌカンに毎朝祈っていた姿を思い出しました。祈りって、誰かのためというより、愛そのものなんですね。」
